グロテスク/桐野夏生 〆


グロテスク

グロテスク


サマー/タイム/トラベラー」のせいで感想が後回しになってしまいまいたが、読んだのがこっちの早いです。とりあえず帯の「あたしは仕事ができだけじゃない。光り輝く、夜のあたりを見てくれ。」は、当たっているけど、あらすじとしては外れています。後ろの同上。




これ、夜寝る前に読むと夢見が悪くなります。えぇ、三日連続でそうなったので含まれている毒と何かは相当なものではないか、と。えっと…あらすじを書くのが長々とつまらなくなりそうなので、Amazonさんからの引用を下にのせておきます。とりあえず美人過ぎる妹を持った姉の視点からはじまるのですが…。

登場人物揃いも揃って性格悪すぎやしないか。一人称なので長い間その判断が出来なかったのですが…うん、悪い。それもこれも主人公達が生きて、見ている世界故なのかもしれませんが。

女子校のくだりが好きですね。あの閉鎖感と武器の話題はなるほどなぁ、と。キラキラと輝くミツルが素敵です。この本の中では結局、ミツルが一番好きな登場人物ですね。たぶん、その性格と現実感がいい感じに同居しているから。後「ユリコ」の視点が一番わかりやすくて好感でした。

んー…何となく言いよどんでしまうのは、この本から感じ取った毒を別のことで浄化してしまったからですね。読んだ後すぐには、何かしらのしこりの様な感慨が胸にあったはずなのですが、うん、うっかり浄化しちまったんだ。今になって困っています。

何だろうなぁ。途中で「佐藤」という女の子(その時点で、ですが)登場します。主な視点の持ち主は彼女をバカにしまくってダメな方向に後押ししたり…します。「佐藤」がすごい頑張り屋で「努力すれば不可能はない」という思考を本当に真っ当に受け止めています。だから有名女子校の中で浮きまくり、でもそれさえも「努力」で何とかなると信じています。愚直なまでに。それでもやっぱりダメなのは見ていてわかるのですが、本人は認めません。その横には完璧な「ミツル」が居るわけで…。

感情移入なんてしたくない存在なのに、「佐藤」を見ている痛々しさがひしひしと伝わってくる。もしかして、自分がこう見えているのではないかという不安に駆られてくる。そして同時に「佐藤」の異常さに背筋を凍らせる。…痛いです。かなり。

思い返しただけで痛くなってきました。たぶん、ここだけをしっかりと覚えているということは、私が結局のところそこしか理解できなかった、ということだと思います。そんなに難しいことを言っているわけではないですが、私に真に迫ってきたのはそこだけ。ほかのところは想像するにしても基盤がないしなぁ。

うーん、何が正しい、とか誰が正しい、とかではないのだろうな。あ、グロテスクは本当にグロテスクです。別に肉片とかは飛び散ったりしませんが、人の心のうちがかなりグロテスク。題名のまんま。

はてさて、女子校を飛び出した舞台での話を私はいつになったらしっかりと理解できるようになるのだろうか。



Amazonから引用 あらすじ

主人公の「わたし」には、自分と似ても似つかない絶世の美女の妹ユリコがいた。「わたし」は幼いころからそんな妹を激しく憎み、彼女から離れるために名門校のQ女子高に入学する。そこは一部のエリートが支配する階級社会だった。ふとしたことで、「わたし」は佐藤和恵と知り合う。彼女はエリートたちに認められようと滑稽なまでに孤軍奮闘していた。やがて、同じ学校にユリコが転校してくる。

エリート社会に何とか食い込もうとする和恵、その美貌とエロスゆえに男性遍歴を重ねるユリコ、そしてだれからも距離を置き自分だけの世界に引きこもる主人公。彼らが卒業して20年後、ユリコと和恵は渋谷で、娼婦として殺されるのだった。

いったいなぜ、ふたりは娼婦となり、最後は見るも無残な姿で殺されたのか。そこに至るまでの彼女たちの人生について、「わたし」は訳知り顔で批判を込めて語っていく。しかし、ユリコと和恵の日記や、ふたりを殺害した犯人とされる中国人チャンの手記が発見されるに従い、主人公が本当に真実を語っているのか怪しくなってくる。つまり「わたし」は「信用できない語り手」だということが明らかになってくるのだ。その主人公に比べ、日記であらわになるユリコと和恵の生き様は、徹底的に激しくそして自堕落である。グロテスクを通り越して、一種の聖性さえ帯びている。